ピアニスト辰巳京子による自由で新しいピアノレッスン
ストーリー

 

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異国にて

学生ではなくなったといっても、色々と仕事はずっとしてきていたので今度はとりたてて生活が激変したわけではありませんでした。 

弾く機会があればすべて参加していました。 今から考えるとよく時間が足りていたな~と思います。 

はじめて訪れた外国はロシアでした。 

先生の紹介で来日のたびにロシア人ピアニストにレッスンをうけていたのですが、サンクトペテルブルクの白夜祭の催しの一貫で演奏会を企画してくださって弾きにいきました。 

そのとき弾いたのもベートーヴェンだったな。 エルミタージュ美術館のすぐとなりのカペラというホールでの演奏会でした。 モスクワよりも少し北で、日本人もめずらしいのでしょうね。このへんは英語もあまり通じない。地元の方々で超満員のホールでした。 

多分だけど・・・ 

欧米人からみると私たち日本人はまるで子供のように見えるのでしょうね。 「小さいのによく弾くわね~~」的なほめられかたをされていたような…ロシア語ぜんぜんわからないけどその部分はなんとなくわかっちゃった(笑)まあいっか♪ 

白夜なので本当に夜がこない・・・油断して歩いていたら夜中の12時だということに気づいてあわてて宿にもどったり。 

食事はサンクトペテルブルク音楽院の学食で、行けば何か食べさせてもらえるようにロシア人の先生が手配していてくださいました。 

練習は音楽院の練習室をかりて。 

よし!弾こう! 

と思っていつものようにやり始めて、えっ!?です。 

ペダルが壊れてて・・・・ていうか、無い。。それに鍵盤の白い部分に指のあとがくっきりつくくらいへこんでて、鍵盤の高さもそろってないしなんか出ない音もある。 日本のようにきれいなピアノがどこにでもある国はめずらしいのです。 

はじめて知りました。その後、スロヴァキア、ウィーン、フランス、台湾、ドイツなどで機会があって弾きましたけど、ピアノの状態はとても良いものとすごいの(壊れているとしか言いようの無い)との差がはげしいのです。 

うーむ。 

オモシロイ(笑)本番前でテンパってはいるのですが、なんとなく日本にいるときより「誰も知ってるひとがいない」とか「なんの制約もつながりもない」外国は開放的な気分でたのしかったです。 

会場の雰囲気も、シーーンと静まり返って硬直した空気ではなく、ざわざわした中でいつのまにか演奏がはじまっていて良ければたくさん拍手がきて、ミスったりすると「あ~~~。」って観客ががっかりするのが手に取るように弾いてて感じるのですよね。 

それは、コンクールでも演奏会でも同じでした。 そこにある演奏をちゃんと聴いてもらえている感じはとても心地がよいものなんだなあ。と、演奏することにも必死でしたけどその雰囲気にずいぶん助けられていたように思います。 

批判的に音楽を聴くことは不幸なことだなと思いました。 だから、自分で自分の演奏を批判しつづけることはもっと不幸だと思います。 

英語もフランス語もスロヴァキア語もロシア語もドイツ語も台湾語もまったくわからない私でも異国の地で感じたことはいまでも大きな宝物なんです。 

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緊張感

ピアノを弾くいっぽうで、4件くらい仕事をかけもちしている時期がありました。 なかでも長くやっていたのは、ホールの案内係です。 19歳から始めて10年以上・・週に3回くらいの勤務だったたので年間で100公演以上の演奏会や芝居、トータルで1000公演以上の公演に関わっていたのでかなり色々聴けました。 

東京芸術劇場、NHKホール、JTアートホール、東京国際フォーラム、トッパンホールほか首都圏の主要ホールが勤務地です。 今日は制服で勤務、今日はそのホールで舞台で演奏。こんな日々があたりまえになっていました。考えてみるとおもしろいですね^^ふふふ。 

なかなか厳しい職場で、研修中に採用者の半分くらいがやめたりしていました。私の居たころはめちゃめちゃ美しくてキリリとした女性ばかりのオフィスで身だしなみに関してもはんぱなく仕込まれました。 

「そんなすっぴんみたいな顔でホールに立たないで!」 

初出勤の日に言われた・・・19歳の私はそれまでお化粧をしたことがなかったのです。 「口紅かしてあげるから」その日はそれでなんとかしのぎ、同期に採用になった子と後日デパートに行って一緒にメイク用品をそろえにいきました。 

はじめからお化粧なんて上手にできないじゃないですか…始めはフルメイクで濃い~い顔してましたよ(笑) でも「人に見られる仕事」は緊張感があり、きれいに立とうとかきれいにお辞儀をしようとか、きれいに歩こうとか、こういうことを初めて自分から考えるきっかけになったのです。 

それに、延べ数にすると何万人とかのお客さんを見ることになります。たくさんの人の中に自然に居て気をくばるというのもやってみないときっとわからなかったろうな~と思います。 

そんな感じだったので、私にとって舞台は決して「演奏」だけじゃなくて、「スタッフ」であり「お客さん」であり、たくさんのひとが関わっているものだということが当然のように思えるようになったのです

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道を繋ぐもの

私の知られざる得意技は「譜めくり」です。 

アンサンブルや伴奏のピアニストの横に座っていて文字通り楽譜をめくる役です。楽譜がよめれば誰でもできそうな気がするでしょ? ところが、これはなかなかワザがいる。

今までやってきた仕事で、クラシック音楽事務所にすこしお世話になっていたことがあり、私の仕事は主に営業で地方のホールや団体に演奏会の企画書を作って売りにいくのが一応専門ではあったけれど、他の事務仕事やアーティストの旅程をくんだり、時には一緒に舞台に出て譜めくりや練習のおつきあいなどもしていました。自分の楽譜を貸したりとかも。 

外国からアーティストを招聘してソロコンサートからオペラまで企画運営するクラシック界では老舗の音楽事務所でした。 

約2年ほど、その業界の達人の先輩たちに習い見よう見まねで色々仕事をなんとかやらせてもらっていました。 外国人のアーティストと直接話しができる(英語できないけど)。練習を聴ける。一緒に舞台にあがる。舞台の合間にレッスンをうける。 

おおお。 

なんと刺激的な2年間だったことだろう。たしかに忙しくて10日くらいピアノが弾けないときもけっこうあったけど、アーティストたちの生の生活も舞台ではみせない顔も私にとっては興味深くて。 

私はピアノが弾けるので、主に鍵盤楽器のアーティストを手伝う仕事をしていました。あの映画「戦場のピアニスト」の演奏役のオレイニチャクさんや、チェンバロ、オルガン奏者のトン・コープマンさんとか。 

そう。 

コープマン氏のパイプオルガンコンサートにNHKの収録が入ることになったんです。 

それになんと!! 

パイプオルガンの事を全く知らない私がなぜか、譜めくりとオルガンの音色を変えるストップ(音色を変えるボタン)操作のアシスタントをやることになったのです。 

曲目はブクステフーデとバッハ。 

大変だ。譜めくりだけならまだしも、ストップ操作もだと演奏にも大きく関わってくることになる・・・・(汗)しかもテレビに…コープマンさんにはヘビーなファンがついている。間違ったりしたら大変なことに! 楽譜、自前で買いました。10日ほど曲とオルガンを必死で勉強して寝られませんでした。 でもやってみたかった!こんなチャンスは二度とない。 

来日した当のコープマンさんはいたってフレンドリーで冷静「キョコ!だいじょうぶだよ!問題ない!」と英語で(多分そうおっしゃった)。 

リハーサルで特に問題なくストップ操作もできて、ほっと一安心・・・と思ったら! 

「キョコ!うまくいってるからもっと細かく音変えるよ!」 

ううう。本番の日にさらに操作が難しくなってしまった…それにNHKの収録ってすごく物々しい雰囲気で、変な動きをしてはいけない感じがさらに緊張感を増していました。 

結局、全部で40回ほど音色を変えたことになります。4拍子で4拍目の16分音符の最後の1個で音を変える!とかよくできたな~~。ふう(汗) 

東京オペラシティの巨大なパイプオルガン。演奏台にあがると普通の舞台より高い位置にあるので、客席もぐんと遠くにあるように思いました。 天上界から下界を見下ろしている感じってこんなかなあ。鍵盤のある場所は意外と静かで、音が遠くに響きわたっている感覚だけ感じました。 

時々BSやNHKで放送しているので、思い出した方は見てくださいね^^。 

あとで、コープマンさんに日本人の弟子がいたらしい。とオルガン界でいっとき話題にされていた(らしい)と聞きましたけど、違うんですよ~ あれは必死なワタクシです。 

「こんな機会もう二度とない!」 できません。と言えばまわってこなかった出来事です。 

ふりかえると、こういう「二度とこないような機会」が私の道を繋いできたように思えるのです。

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時間

いつのまにか弾くことは私にとっては、食べる、眠る、と同じくらいの生活の一部になっていました。 実際忙しくて弾けない日々もたくさんありました。 でも私の周りからどのような形であれ、音楽が無くなることは一度もなかったのです。 

日常のなかの音楽。生活とともに成長する音楽と私。 

そんなことをぼんやりと考え始めていたころ。 予期せず、勤め先の会社が2年前のクリスマスの日に倒産し急にたくさんの時間が目の前にやってきました。それに加えてなんだかいろんな人が私のもとから去っていき・・・ 

心身の緊張度も高く、疲労していたのでしょう。 

大江戸線の新宿駅で電車を待っていたはずがなぜか気づいたらホームの天井が見える。。。目撃者の話によると、急に意識不明になってバターン!とたおれたそうです。親切な周りのひとがホームから落ちないように助けてくれたようです。 

あぶなかったー…そういえば後頭部にこぶができてて痛いし、打ち身があちこちに・・・・ 疲れている自覚がまったくなかったのですね。 

気をつけねば。あれ?でも気をつけるっていっても・・・・ そのころからです。あらためて「自分」のからだと心がどうなっているのか。
どうしたら「気をつけられるのだろ?」 

心が痛めばからだも確実に痛みます。からだが病めば心も病みます。 

外の仕事がなくなったぶん、時間が急にたくさんできました。いやでも「自分」と四六時中ずっと関わらなくてはなりませんでした。 

日常と音楽と演奏と私。 

そうだこれを研究テーマにしよう。 「音のある生活」これは私のHPの題名です。これを開設したあたりからまた私の生活は新たな方向へと繋がっていきました。 

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音楽

日常のなかの音楽。 

近所の森の中に教会があるのを思い出しました。 ここは日本で唯一の宗教音楽研究所を併設していて、遠いところからもミサや演奏会に多くのひとが訪れます。 

私の良い部分でもあり悪い部分でもあるんですけど・・・ これだ!と思うとあまり考えずに飛び込んでしまうとこで(笑) 普段はわりと慎重なほうですがたまに何かに強烈にはまってしまいます。 

夏に宗教音楽講習会という2泊3日の本格的なセミナーがあって、興味があったので迷わず参加しました。うちは幸いにも自宅が近いので毎朝7時から夜の9時くらいまで教会にかよいました。 

全国各地から60名くらいの方々が集まっていました。 

で、当然ながらみなさんはキリスト教です。そうでない人は私だけでした。 ああ~~しまった。と思いましたけど・・・ミサの中で歌うグレゴリオ聖歌を歌ってみたかったんです。 

ミサ(早朝・朝・昼・夕・眠る前・深夜にミサがあります)の合間にある講習会の内容はグレゴリオ聖歌について、発声、それとパイプオルガンのレッスンがありました。 

祈りの言葉があって、その抑揚にそってメロディがつけられていく。 

それは口伝えで遠い昔から今に受け継がれている。 

修道士たちの日常はまさに祈りであり、音楽でした。 

そしてミサの中で繰り返し歌われ、ひとりの祈りがたくさん重なり合ってひとつの大きな祈りになる。 

その響きが本当に美しい。 

こんなことが毎日くりかえし行われていること自体が音楽だと思いました。 

今まで色々な事があったけど、わたしのからだは毎日鼓動して食べて、眠って、生きてきたその結果なんだよね。これは私だけの音楽だ。 

しみじみ思う静かな夏でした。 

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日常と演奏と音楽と私

窮鼠猫をかむ。 

ではないですけど…(意味ちがうし) 

数年前にどうしてもうまくいかない部分があって・・・その曲は弦楽器と合わせるピアノ五重奏曲でした。 ひとりだとうまくいくのに合わせるとどうも自分の弾くパッセージが弦楽器のメロディにちゃんと入らないのです。 

困ったこまった。もう数時間後には本番だ! 

そのとき偶然ですけど、おなかにすっごく力が入って硬くなっているのに気づきました。緊張しているうえに本番がせまっているのに音符が入らない箇所があるなんてたいへん! とりあえず、おなかの力をぬかなきゃ。 

なんとなく手と腕の奥に内臓があるような感じが。そうだ胃!! 

内臓といえば胃ぐらいしか思いつかなかっただけなんですけど(笑)その時は必死だったので楽譜に「胃」って書いてみました。胃を思いうかべてみました。「おねがい!やわらかくなって!」 

それがね、なんか偶然だけど「胃」と思っただけでちょっと視野が広がったんです。さっきは見えなかった第1ヴァイオリンの人がちゃんと合図してくれていたのです。それが見えたので息継ぎ部分がはっきりして音符がはいるようになりました。 

これは数年前のできごとです。 

そして2009年。

ピアニストの友人から「ボディマッピングを習っているんだ~」とききました。内容はあまりくわしくはわからないけど「内臓のマッピング」というものがメソッドとして存在していることを知りました。 正しいからだの構造の地図を頭のなかでつくる(あるいはつくり変える)という内容のようです。なぜなら間違ってからだの構造を覚えてしまったためにスムーズな動きに支障がでることがあるからです。 

あっこれは私が土壇場で思いついた「胃」とにてるのかな? 興味があったのですがその話はそのまま放置して半年がたちました。 

生徒さんとの発表会の数日前。なぜか「ボディマッピング」習ってみたい! 急に思い立ちまして・・・またいつもの「何か」にはまってしまったのですね(笑) 「ボディマッピング」で検索していちばん上にでていた東京のお教室の先生に即電話しました。お忙しいのか電話がなかなか繋がりませんでしたが、なんとか次の日にレッスンが受けられる事になりました。 

おお。よかったよかった^^。 

改めて先生のHPをじっくり見てみました。 

あれ? 

“アレクサンダー・テクニックの学校”と書いてある。 

・・・ボディマッピングじゃないのかな?? 

・・・。 

これが私とアレクサンダー・テクニークとの出会いです(なんていいかげんな…) 

“日常と演奏と音楽と私”これが私の研究テーマです。 

長い間、演奏する動きがどこか日常の動きとかけ離れたものと思っていました。実際、演奏するには専門的な訓練と練習が不可欠ではあるけれど、からだを“動かす”という部分である意味「同じ」に思ってみたい。 

それほど「日常」が私にとっては重要なことになっていたのです。 

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音のある生活

10日おきくらいにレッスンに通う。 

こんなのは久しぶりでした。しかも音楽を習うためではなく、自分自身を習うために。 

アレクサンダー・テクニークのおもしろいところは、演奏を改善するための筋力をきたえるとか、姿勢を正す体操のようなものでもなく、いたってシンプルな日常の動き(たとえば立ったり座ったり)に注目して本来スムーズに動くはずの自分のからだを再発見するという部分です。 もしくは、スムーズな動きのじゃまをする自分のクセを「思う」ことによってやめる。 結果的に姿勢がよくなったり筋力がついたりすることはありえます。 

はまりました。 

楽譜をみて曲を練習するとき「ここはこのように弾かなければならない」とか「楽譜に書いてあるからそのように弾く」のように、自分を曲に合うように矯正していくやりかただと練習が辛く大変なものになってしまいます。 

アレクサンダー・テクニークの考え方は、正しい姿勢に自分のからだを矯正するのではなく、本来は楽に動けるはずのからだに近づけるために余計な(もしくは間違った)動きを“やめる”のです。 

やめる。という部分にすごく惹かれました。 

直感的に楽譜もからだも同じじゃない?!と思ったのです。 

音楽のからだは楽譜。私の心はからだ。 

やみくもに理想に近づけようとして無理に楽譜に表情をつけ続けてもそれが自分の思いと反していたり、間違った方向であれば真の音楽を奏でることなんてできないはずなんです。 

「真に思う」こと自体が音楽なんだなと思いました。そして私のこれまでの生活すべては私だけの音楽です。 

そういえば、本当に心から思ったことは時間がかかっても大なり小なり実現してきたように思います。ポジティブな思いもネガティブな思いも。 

さてさて。 

今のわたしの本当の「思い」はなんでしょう^^。 これは自分にもわからないお楽しみです。本当の「思い」は叶ってから「本当の「思い」だったんだ」と気づくみたい。 

というわけで、今に繋がったので生い立ち日記はいちおう終わりです。

この先、また物語が溜まったらまた書くことにします☆     2011.4.5

今までのこと

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    平穏無事な人生である。ずっとそう思っていました。  自分の詳しいプロフィールを書いてみようかと思って(演奏暦とか入賞暦以外の)書き出してみると、 意外にいろいろなことをやっています。  過ぎ去ってみれば、楽しいこともいっ …
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