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そんなにうまくいくはずがない

0点。 

こんなの初めてみたよ(笑) 中学1年生になってはじめての音楽理論のテストです。 そもそも音楽に理論があるなんて知らなかった… 

幸運にも合格できました(受験には音楽理論の試験はなかった)が、新学期になって私は愕然としたのです。 まわりのみんなは小学校のときから音楽理論の先生にすでに色々習っていて、学校の授業は「当然このくらいは知っている」という前提で進められていました。 

これはまずい。ドイツ音名(ドレミファソレシドをツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー、ツェーと読む)の存在さえ知らなかった・・・ もちろん授業はよくわからないまま進み、視唱と聴音(ソルフェージュ)だけは出来るというなんともアンバランスな生徒になってしまいました。 

しかも電車通学に片道90分かかります。中学は義務教育なので、普通の一般授業のほかにソルフェージュ1、2、音楽理論、リトミック、合唱、個人レッスンなどの専門授業が加わるかたちになるので、けっこうハードでした。 一日が終わるともうクタクタ。音楽の授業に追いついていくまでずいぶん苦労しました。 

そして、 

ピアノの先生がこわいの~~ 

今まで楽しい楽しいばっかりで弾いてきた私は「訓練する」という工程をすっとばしてきてしまっていたのです。 

そして、 

「今まで弾けていた曲さえなんだか弾けなくなっちゃった」 

与えられる曲の難易度も高くなってきているのも事実なんですが、音譜が弾けるようになっても楽しくない。先生の言うとおりにしてもぜんぜん面白くないし、意味がわからないのです。 

以前は曲が弾けるようになれば充分楽しかったのに・・ 

「ここは心をこめて」とか「大事に弾いて」とか言われても「どうしたら何も感じないのに心をこめられるのか」が全くわかりませんでした。大事に弾くって言われても「いつも大事に弾いてるつもりなんだけど」と思う、ひねくれた生徒です。 

大人になって人を教えるようになってから「あのとき先生は一生懸命教えようとしてくれていたんだな」と思います。でも当時の私には訓練して指が速く動くようになる練習も意味がわからなかったし、充実感のないまま曲が出来上がっていくのもなんとなく気持ち悪いと思いながら10代の大半を過ごしてしまったのです。 

興味が向いた事にははまりまくる性格ですが、基本的に器用ではないので何かを習得するには時間がかかるほうです。自分とピアノと激変した環境に慣れるまでかなり苦労しました。 

ただ、この経験が今の演奏に対するアプローチや教え方を研究する大きな材料にもなっていることはたしかです。 

無駄な時間なんてないんですよ。本当に。 

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心ひかれるもの

中1になって、はじめて自分で買ったCDは、ショパンのピアノ協奏曲第1番でサンソン・フランソワという天才ピアニストの演奏でした。 毎日聴きまくっていました。こんなに美しい曲が存在してたのか・・・ 

ピアノを弾くことに今までになかった苦しさを感じていた私にとって、このフランソワの音楽は限りなく自由で魅力的だったのです。ほかのピアニストの同じ曲も聴きましたが、全く別の曲のように聞こえました。 たしかこれも偶然に手にした一枚のCD。音楽ってすごい!と思った最初だったんです。 

その一方で学校の授業は淡々と進み特に目立った活躍もせず、中・高校の6年間を国立の町で過ごしました。 

一橋大学に向かう大きな大学通りは桜の木が春と秋は素晴しい。どこか日本ばなれした西洋風な町の空気が好きでした。 その町で多くの時間を過ごした場所は今でも駅の近くにある茶房で、こちらもヨーロッパの街角にあるような芸術的な空間でした。 

ここにはお気に入りの絵があるのです。昔骨董品をあつかっていたという店内は年代物の食器や壷などが適当に飾ってあって、いつもバッハがながれていました。 店員さんはなんとも素敵な雰囲気のおねえさん。愛想笑いひとつせず、かといって無愛想な態度ひとつとらず、凛とした彼女たちのふるまいが静かに店内の時間をやわらかく活気を与えているようにみえました。 

けっして堅苦しい芸術的流儀(?)を押しつけるような感じではないのです。皆がくつろいで、そして楽しい世間話から深刻な話まであちらこちらから聞こえてきます。 

こんな人になりたいな~。かなり観察しました。 そしてここにいるうちに、自然にバッハが好きになりました。 

お客さんも店員さんも、出されるお料理もすべて調和していました。 こういう場所は今は少ないですねきっと・・・。この茶房に寄り、駅前の本屋に寄って帰るのが日課のようになっていました。 時には授業をさぼって・・・(時効だと思うので白状します。笑) 

フランソワのピアノと茶房で過ごした時間は私にとってとても重要です。 

思うように弾けない時期も長かったのですが、このあたりで私の音楽の価値観が確立されてきていたなとふりかえると思います。 

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きっかけ

高校のおわりごろに病気になりました。 

ノドに違和感がある・・と思っていたらどんどん水がたまり腫れていたい。 診断結果は良性ではあるけれどすぐにとってしまったほうがよい腫瘍でした。 全身麻酔で手術して入院は2週間ほど、ノドに横一文字に傷がつきました。 このとき、人は「物質」なんだな~と思いました。そう思わなければ、痛くて退屈な病院で過ごすのがつらいものになりそうだったのもあるけれど。 痛みは麻酔で痛くなくなる。熱は薬をのめば下がる。傷は縫えばくっつくのです。これは事実なんですよね。 

スピリチュアルな演奏や生活をしてみたいといつも思いますが、いかにも難解で現実離れした精神世界の考えに違和感を感じるときがあるのは、勉強不足のせいもあると思うけど、このとき自分のからだが「物」なんだと分からされてしまったせいかもしれません。(もちろん精神とからだが切りはなせないものだということも信じていますけど・・) 

そんなこんなで 

病み上がりでしたがなんとか無事に大学のピアノ科に進学することができました。大学の始まりってだいたいは「健康診断」。あらゆる数値が悪くて(笑)再検査になりました。 

ピアノは中学受験の時にお世話になった先生のクラスです。ほぼ6年ぶりの再会でした。 高校からあがってきた同級生たちは、必ずしもピアノ科に進むわけでもなく教育科やリトミック科に行く人もいます。それに全国各地から受験して入ってきた人たちが増えたのでまたまた環境は激変しました。 

なかでも、その後の演奏に大きく影響したことはピアノ以外の楽器や声楽をやる人に出会えたことなんです。 

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聴くとは

「3日後にレッスンにもっていかなきゃならないんだけど」ともらった譜面はクラリネットの曲でシューマンの3つのロマンスでした。 合唱の伴奏は今までもやっていましたが、他の楽器とデュオは初めてでした。 

3日だとそのころの私には譜読みがやっと・・・・なんとか音符を曲にしてクラリネットの先生のところにレッスンに行きました。 おお。この方はテレビでいつも見てる現役N響の団員の方ではないか! すごい威圧感。管楽器の世界は意外に体育会系で上下関係も非常に厳しいのです。 

クラリネットの子も相当怒られていましたが、譜読みがやっとのヨレヨレピアノ、すごく怒られました。「3日もあったんだろ!?それでプロの仕事ができるのか!?」ひ~~(泣) 

とりあえず、「次のレッスンまでになんとかしなければクビだ!!」とまで言われてしまいました。学内の発表会の前なので次のレッスンってまた3日後・・・必死でCDを聴き練習しまくりました。 

まあ、そのかいあってなんとか伴奏はクビにはならず(笑)それ以来私は管楽器棟にしょっちゅう出入りする常連伴奏者になったのです。 

N響アワーでいつも聴いているクラリネットの音色、レッスンのとき間近で先生が演奏していただきましたが、本当にほんとーに!艶があってすばらしい。このときは怒られながらもその音色に感動しました。これは今でも忘れられません。 

フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット。木管楽器の伴奏にはまってしまった。近現代の曲も多くピアノの譜面もとても難しいものも多かったので曲をはやく譜読みする訓練にもなりました。 

それに、管楽器の音量は思っているよりも小さい。音が多いとどうしてもピアノが管楽器のメロディをかき消してしまうので細心の注意が必要です。 それと平行して、声楽科の子の伴奏も始めていました。こちらは大きな声の人が多く(特に学生さんはそうですね)伴奏でもめいっぱいフォルテで弾いてもよいところも多くありました。 

ほとんどソロピアノしかやっていなかった私にとってはバランス感覚がきたえられてよかったかも。あと本当にまわりの「音」を聴くとはこういうことかと実感しました。 

そして、彼らにくっついていると色々なコンクールやオーディションに出ることも多くなっていきました。 それほど目立つ生徒ではなかったため自分のソロピアノではそれまで全く外のコンクールなどには出たことがなかったのです。なのでこれはかなり刺激的。こんな世界があったのか!と驚きました。 

そんな大学の4年間。 

卒業間近になったとき正直「えっ?もうおしまい?」と思いました。 

こんなんじゃひとりで演奏会なんてできないじゃない!? 

そして卒業後、すでに始めていたアルバイトと伴奏、音楽教室に勤めながら今度は自分の道を模索することになったのです。

 

【ピアニストになりたい】へつづく