~「楽譜通りに弾く」の本当の意味その2~
「自分の出している音をよく聴いて!」レッスンで言われることが多いのではないでしょうか。
「音楽をよく聴こう。」素晴しい演奏のCDを細かいニュアンスまで覚えるほど聴きます。
さて弾いてみる。
あの素晴しい演奏のようになるようにマネをしてみる。
自分の演奏を録音してきいてみる。
・・・
どんなにマネをしても同じ素晴しい演奏にはなりません。
なぜでしょうか。自分の出す音を一生懸命聴いて「素晴しい演奏」もたくさん聴いたのに。
「やっぱり素晴しい演奏をするテクニックが私にはないから無理なのね・・・。」
確かに天才的なピアニストのマネなんてできっこありません。
心の中は、あの素晴しい演奏を思い浮かべながら、自分の出す音を聴いて「やっぱり違う。」と思いながら弾いていませんか?
音を聴くにはコツがあるのです。
漠然と「よく聴く」だけではだめなんです。
楽譜をよく見てください。音符には色々な種類がありますよね。
本当に“楽譜どおり”に弾けていますか?
ここで言う“楽譜どおり”は譜読みがきちんとできて暗譜が正しくできていることだけを意味するのではなく、その音符を“どう弾くか”までを自分がきちんと把握できているかどうかという事までふくみます。
表現するのに行き詰ったときは、楽譜をもう一度よく見直してみてください。
■音符はきちんとその音価ぶんの長さが保たれていますか?
■長い音符が響いている間に動いている短い音符が、長い音符に溶けこむように調和していますか?
■右手と左手、フレーズの始まりと終わりの音がきれいな和音になっていますか?
■休符の部分がきちんと“無音”になっていますか?もしくは、たくさんあった音が休符によって減って単音だけになっているのがきちんと聴こえていますか?
曲の解釈やアナリーゼとは別に、まずは書いてある音符や休符の長さをきちんと聴いてみてください。
「聴く」ことに基づいた身体の「動き」自体が表現の大部分を占めていることに気づきましょう。
簡単なことのようで、やってみると非常に神経を使うことがわかります。
丁寧に譜読みしていても、一度弾けるようになった曲は、ほおっておくと、あまり神経を使わなくても弾けるようになってしまっていることが多いのです。
一度「弾きにくいな」と思ってしまった箇所を「楽に弾けそう」と思い直すのが大変になってきます。一度スピードを上げて弾けるようになった曲を、どうやって練習し続けたらいいのかわからなくなって、単調な指の練習ばかりやることになってしまったりすることもあるでしょう。
「音を聴く」そして、それに対して「どんな動きをしているか」を観察しながら、練習をしましょう。
楽譜は決して弾きにくいようには書かれていません。もちろん難しい曲はありますが、音符の長さとその余韻、休符による無音を意識して聴くことで、練習する糸口がきっとみつかるはずです。
音を聴くことに基づく身体の動きを練習できるようになれば、その日の楽器の状態や自分の体調なども、耳だけでなく、身体全体で、よく聴こえてくるはずです。私たちが演奏をする場所や楽器、自分の心身の状態はいつも同じ状態ではないことも「練習」のときに知っておきましょう。
素晴しい演奏家は決して「練習のときとまったく同じ」演奏をしているわけではないのです。効果的な練習をした上での、素晴しいライブは一瞬の閃きの連続です。それに私たちは「感動」するのでしょうね。
効果的な練習とは、身体全体で音を聴き、なめらかな身体の動きを実感しながら弾くことです。「いつも間違わずに弾ける」ことを目的に練習をしても音楽は充実しません。
自分が奏でる曲の隅々まで神経がいきわたって、まるで自分の一部のように感じられるようになれば、練習し始めの段階でも、弾けるようになった後の段階でも、いつも音楽を楽しむことができるでしょう。
「私はできない」と思いながら練習するのは辛いことです。
まったく新しく譜読みする曲は、ぜひ始めから「音符と休符」を聴きながら練習をしてください。曲を解釈したり意味づけたりするのはそのあとで充分です。
楽譜から、そして自分から、楽器から、発見することが多い事にきっと驚くと思います。
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