~「楽譜通りに弾く」の本当の意味その3~
【毒舌キョコ先生によるピアニストのためのグループレッスン風】
今日は「譜読みする」ということについて。
あなたたちは新しい曲を練習するときどんなことに気をつけるのかしら。ナタリーはどう?
ナタリー:まず・・・難しい曲の場合は右手と左手、片手づつ練習して弾けるようになったら両手で弾けるようになるようにくり返し練習します。
そうね。ナタリー。あなたはまじめな努力家。お皿にいっぱいの豆をフォークでひとつづつ別の皿に移すような作業も根をあげないでやりとおせるわね。
でも私はいやだわ。豆が別の皿に移ったとしてもなんの意味も見出せない。せいぜい豆を移す動作が速くなるだけ。
では、デイヴィットあなたはどう?
デイヴィット:曲がどんなつくりになっているのかを調べます。何調でどんな転調をするのか、テンポはどのくらいでどの時代に作曲されたものなのか、ソナタ形式なのかロンド形式なのか・・・
ええ。いいわ。曲の全体を知ることはとても大切。ではデイヴィット、実際に練習を始めるときはどんなことに注意しますか?
デイヴィット:数小節のフレーズごとに練習して、弾けるようになったら表情をつけていきます。
そうね。さやに入ったいくつかの豆を拾うのだから、一粒づつ豆を拾っていたナタリーよりもきっと大分効率がいいわね。
では他の人は?パティあなたはどう?
パティ:私はまず色々な人の演奏を聴いて、自分のイメージを完全につくりあげてから練習を始めます。そして理想に近づくように努力します。
そうね。イメージを膨らませることは必要ね。出来上がりに理想を持つのも重要だわ。
そして、あなたは枝葉のついたままのさやに入った豆を移動させたり、もうすでに調理されて味の付いた豆を仕分けするのですね。
さあ、みなさんよく考えて。この3人がやろうとしていること。
まず、音符を弾きこなせるようになる。そして表情をつけられるようになる。そして理想に近づける。
よっぽどの天才でない限り、私たちは曲を弾けるようになるまでにたくさんの時間が必要です。
表現が自分の外側にあるうちは、感動的な音楽は生まれない。当たり前のことなのに、なぜ多くの演奏家は気づかないのかしら!
譜読みの段階で、自分の感情と感覚、弾いているという実感のわかない練習方法でいくら練習しても、曲はいつまでたっても「自由な演奏」にはならないわ。曲を組み立てる前に、実際自分がどのような音を弾いていて、その音を聴いて「自分がどのように感じたか」を把握するのが本当の譜読み。
曲と楽器と自分自身と対話することが重要なのよ。いつも新鮮な発見があるはず。
使い古しの表現を借りてきて曲を組み立てたってすぐにバレるわ。それはあなたの演奏ではないのだから。
あなたたちのやろうとしている事は、レシピだけを見て、素材の味も知らず、調理器具の具合も見ないであてずっぽうで調理した大量の豆を味見もせずにお客様にお出しするようなものだわ。それで偶然にも美味しかったら運が良いってこと。これではいつまでたっても自信なんてもてないわ。
※注1 架空のシチュエーションです(念のため)
※注2 私は普段こんなに怖い先生ではありません。
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